kindle沼日記

電子書籍のことを中心にまったりとやっていきます

「おはなし おはなし」を読んで

今週のkindleセール本です。

 

 タイトルから比較民俗学的な本かと思ったのですが、ジャンル的にはエッセイですね。私はあまり一般的教養が無いので始めてこの著者の本を読んだりですが、この本から何かを学ぶというより、この著者の育った環境や心理的な背景を知ることでこの著者の他の本の理解を深める役に立ちそうです。他にもいろいろ本を出しているようですが、kindle本が少ないのは残念ですね。

 

この本の著者は心理療法士で、昔話のようなおはなしを用いて人の深層心理を探ることが出来るという主張の持ち主のようですが、本当にそんなことが可能なのでしょうか?

答えはイエスであり、ノーでもあると私は考えます。

まず大前提として、人は自分の知っていることしか説明できませんし、理解することも出来ません。未知のことを理解するには偶発的とも言える論理の飛躍が必要なのですが、それを説明すると話が長くなるのでここではその説明は省きます。「論理の飛躍=ひらめき」と置き換えてくれて構いません。

その前提に従うと、あることをある人に説明するにはお互いに知っていることに例える方が手っ取り早いのです。そして大人でも子供でも誰でも知っている共通のものというのは案外少ないものです。だからおはなしというものが心理療法にも役に立つのでしょう。おはなしというものは人の心を理解する為の道具の一つであって、おはなしが人の心を形作っている訳ではないのです。

しかし人の思考が既知のものに縛られている以上、人の行動もまたおはなしに縛られているとも言えます。例えばルンバを人に勧める場合、ただ便利だよと言うよりルンバで家事が楽になった分料理に費やす時間が増え料理が上手くなったおかげで皆に好かれるようになりますよとストーリー仕立てで説明した方が聞いてる人の食いつきもいいのです。このあたりを突き詰めていくと心理学で言うところの集合無意識みたいな話が出てくる訳ですが・・・

ただこの考え方にも罠があって、おはなしの共通性を重視する時はおはなしの大筋ばかり気にして細かいところは無視されがちなのです。大筋だけで見るなら最初のスターウォーズ(エピソード4)も最初のガンダムも同じ少年の成長物でしかないのですが、この二つのおはなしが同じだと言う人はほとんど居ないでしょう。つまり我々が物語を楽しむとき、大筋よりもキャラクターや設定などの枝葉末節の方を重視していることの方が多いのです。この本にも少年が白雪姫に自分を投影するエピソードが出てきますが、その白雪姫がディズニー映画版か最近よく見かける少女マンガっぽい絵柄の絵本かで随分印象が変わってきます。神はディテールに宿ると言いますが、分類するときに切り捨てられる細かな違いの方が重要な時もあるのです。

じゃあこの著者が言ってることが間違っているのかというと、そうではありません。この本でも著者さんは分析する時にはとても多くの時間をかけ、且いろいろな人とディスカッションするとおっしゃってます。つまり著者にとっておはなしとはあくまで理解の為の取っ掛かりであり、それを元に時間をかけて考察する訳です。また自己分析が大切ともおっしゃってます。人は自分の信じたいことしか信じないので、自分にどういう傾向があるか把握してないと正しい考察なんて出来ない訳です。自分の理解しやすい話に変換してじっくり時間をかけて考察しているうちに、論理の飛躍が起きて相手の未知の事象を理解出来るようになるのです。

この本でも注意されてますが、ちょっと心理学をかじって分かった気になっちゃう人は気をつけないといけません。それは自分の偏見に相手を当てはめて貶めているだけで、相手のことを理解してはいないのです。未知のものを理解するには自分も変わる必要があるのですから。

ああ久しぶりに論理の飛躍のプロセスを意識的に行っている人を見つけて、ちょっと興奮してますね。著者さんが既にお亡くなりになっているのが残念でなりません。とりあえず著者さんの他の本も読んでみたいと思います。