kindle沼日記

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靖国、神社やめないってよ

ちょっと時期はずれな気もしますが、最近私の周りで話題になったので靖国について語っておこうと思います。

 

私は靖国神社をなにかと外交問題にしようとする連中を心の底から馬鹿だと思っていますが、靖国神社にお参りする連中も同じレベルの馬鹿だと思っています。

 

そもそも靖国ってなんなのでしょうか?

あれを普通に神社扱いしていいのですか?

 

長い歴史を持つ春日大社伊勢神宮と比べると、靖国なんて明治になって建てられたぽっと出の神社です。北斗の拳で例えるなら、春日大社伊勢神宮ケンシロウラオウクラスで、靖国なんてジャギ程度の存在です。実際、春日大社伊勢神宮を呼び捨てにする人なんてまず居ないでしょ。

春日と言われたら芸人のことだと思うし、伊勢なら最近は航空戦艦ですよね。由緒正しき神社を呼び捨てにするなんて普通はありえません。ところが靖国だけは呼び捨て。これが何を意味してるかちょっと考えてくださいよ。

 

明治時代に靖国が世間に認められてるたのは、国という後ろ盾があったからです。ようは当時の政治屋達が明治天皇を傀儡とする政権を維持する時に、古来からある神社仏閣が政治に口出しさせないように作った政府の出先機関なわけですね。そもそも昔からある神社仏閣だって政治と結びついてたのは少なくありませんから、その辺は別に構いません。世間的に格下な奴が権力を後ろ盾に威張り散らすのもよくあることです。それをぐだぐだ言い出すと、後ろ暗いところのある神社仏閣の方が圧倒的に多いでしょう。

所詮宗教なんて馬鹿な連中を騙して金や物を巻き上げる手法の一つでしかなく、政治屋の政治とやってることは同じです。ただ歴史が長い分再定義の機会も多く、その歴史の中で大衆信仰を勝ち得た訳です。

靖国の無様なところは大衆信仰を得るまでに成長せず、未だに政治的要素だけで威張り散らしていることです。

 

靖国は過去に天皇という権力を後ろ盾にしていました。

実際に権力を振りかざしていたのは天皇でなくその時々の政治屋だったかも知れませんが、建前では天皇の権力ということになっています。

 

そして第二次大戦後、天皇は権力を失いました。靖国とも関わりをもたず過ごしていると聞いています。天皇という権力を失った靖国になんの価値があるというのでしょうか?

勿論、靖国の関係者だって自分達の職場を守る権利はあるでしょうから、悪あがきをしたくなる気持は分からないでもありません。宗教関係はいろいろと美味しいですからね。でも神社として成り立つには参拝客がいないとお話になりません。ではどんな人が参拝しているのでしょうか?

 

ぽっと出の靖国には春日大社伊勢神宮のような神格はありません。

政治的な意味はあっても大衆信仰とは無関係の場所です。本来の後ろ盾であった天皇家からもそっぽを向かれている所です。あえて言えば戦没者が祭られていることですが、戦没者英霊と称えるような人達がそんな低格な場所に彼らを祭り続ける意味が分かりません。

 

これらのことを踏まえると、どんな人が参拝しているのか推理は可能です。

例えば太平洋戦争は天皇政治責任があり、時の政治家はその命令に従っただけだから無罪だと考えている人達。彼らにとって天皇はただの戦争犯罪者なので、その意思を配慮する必要はありません。天皇が参拝しないからこそ、むしろ積極的に参拝する理由になります。ここに祭られてるのは無実の人で、ここの責任者であったお前だけが犯罪者なのだという無言のアピールですね。

だから神格がない見せ掛けだけの格下神社に戦没者が祭られていても気にすることはないのです。彼らにとって天皇が罪を被って、政治家が無罪と言えればそれでいい訳ですから。

 

後は純粋に靖国に神格を認めている人達。日本といってもそれが何を意味するかは人それぞれです。中には江戸時代以前なんて野蛮なもので、その時代を日本とは認めていない人もいるでしょう。そんな人達にとっては伊勢神宮春日大社なんて野蛮な連中の集まる下品な場所でしかなく、明治以降に立てられた靖国こそが真の神社なのでしょう。世の中には仕事中に日本語を使うなという日本の会社もあるので、過去の日本の文化なんて否定したくてたまらない人もいるのでしょう。

 

歴史的・宗教的な意味を考えるなら、靖国なんて天皇の神格が否定された時に解体しておくべきだったと思います。

戦没者を大切にしたいと言うなら、真っ先に靖国から開放すべきでしょう。

きちんとしたところに祭った上で、大切にすればいいのです。パフォーマンスがしたいだけの政治屋に付き合う必要はありません。