kindle沼日記

電子書籍のことを中心にまったりとやっていきます

ロボットアニメ考察 その二

ロボット物の続き、行きましょう。

 

ロボット物と言えばスーパー系とリアル系があると考えるのはスパロボ脳。
ただ分類的には便利ですね。


個人的にはダンクーガが最後のスーパー系だと思います。それ以降のスーパー系はパロディだったりオマージュだったりリメイクが主流のような気がするので、ガチで企画されたのはダンクーガが最後だったのではないかと。勇者系くらいになると、もうスーパーロボット物へのオマージュ色が強くなってると私は思うのですよ。
それが悪いとは思いませんが・・・

 

スーパー系が何かって話をする前に、その背景について語ってみたいと思います。

 

昔の・・・第二次大戦後の日本はそりゃ酷い状態でした。戦争後期は疎開やら学徒動員やらでまともな教育なんて受けていない人がほとんどだし、戦争なんてしても負けると分かるくらいの人達はどんどん捕まって殺されてたので、生き残った日本人の大半はアレな感じだったし、数少ない賢い人は自分を偽って生きてきたので凄く捻くれていました。
複雑なことなんて理解できない人がほとんどなので、娯楽もその程度のレベルになります。そうなると悪人がいてそれを正義の味方が問答無用でやっつけるという勧善懲悪の話が増える訳です。

それからしばらくして多少豊かな時代になってくると、余裕が出てきたせいか多少はものを考える人も増えてきました。この頃になってようやく何が悪かということを自分で考える人も出てきた訳ですね。そうした世代によって生み出されたのがライディーンやコンバトラーVであり、悪や正義の方にもいろいろな理由やらドラマを盛り込んだのです。この辺がいわゆるスーパーロボットの全盛期ですね。

 

こういう単純に正義とか悪とか言えない多面的な価値観を人々が受け入れて、日本がいかに無謀な戦争をしていたのか冷静に分析できる人が増えてきたころに、スターウォーズショックがあってガンダムという鬼子が生み出される訳です。

 

ガンダムは戦争を描いていますが、いろいろな偶然が手伝って恐らくスタッフが思い描いていた以上のものを生み出しました。それは当時のスタッフにも視聴者にも初めは分かっていなかったと思います。ガンダムでは個人の力なんてたいしたことないんですよね。近代戦争を題材にしてるから当たり前なんですが、ガンダムではその時代にはあり得ない程その辺りが徹底されてます。
主人公がたくさんある戦場の一つで戦っているだけで、政治を左右するような決断を何一つしていないんです。それまでのアニメだと結局強いやつがこれが正しいと主張して、それが正義となる訳です。

ガンダムアムロはあの世界では凄く強い方なのですが、オデッサでもジャブローでもソロモンでも一人の力で敵を全部追い返せる程には強くなかったのです。アムロ以外の人達も一生懸命戦っていて、その結果敵を倒せたのです。最終決戦のア・バオア・クーではホワイトベース隊は戦闘終了を待たずに全戦力を失ってるし、そこで悪的なものを倒した訳でもありません。

他のアニメだと主人公達が悪的なものを倒して世界が平和になるというラストが大半ですが、ガンダムでは戦場で戦うすべを無くした主人公が「僕にもまだ帰れるところがある」ということに気付いただけで終わるのです。

 

この主人公とその仲間達が政治的な決定権を持っていないというのは、話を作る側からするととても難しいことです。主人公を動かすことでコントロールできる状況が少なすぎて、話を動かすには各方面の状況を多角的に説明する能力が必要だからです。昔のスーパーロボット系のように敵が動けば即世界が危機的状況になって、主人公が勝てばあっさり危機を回避できる方が話は圧倒的に作りやすいのです。まあガンダムの場合は打ち切りとかいろいろな要素が重なって偶然そんな風になってしまったという感じみたいですけど。

 

ガンダムのスタッフも自分達が何をやったのかきちんと理解できなかったので、続編のZガンダムではシロッコハマーンのような軍の指揮者が自分から前線に出てくるという頭の悪いことをやってたり、カミーユジュドーも悪的なものを倒して一区切りつけてました。でも「逆襲のシャア」では冨野さんもそのことに気づいて、そういう頭の悪いことをする馬鹿がどれだけ酷い目に合うべきかをきちんと描いた訳です。

 

あの時アムロが言っていたのは

・一部のエリートが正しいと思うことで一般の人を扇動しても世の中は変わらない。
・世の中を変えるには普通の人達が自分達で何が正しいかを考えて自ら変わっていく必要がある。
・そうやって人が変わっていくには長い時間と安定した生活が必要だ。
・だから正しいことをする為の戦争より汚職まみれの平和の方がずっと価値がある。
ということでした。


あれが作られた高度成長期時代なんてまっとうな人から見ればエゴと腐敗にまみれたクソみたいな時代でしたが、それでも第二次世界大戦の頃よりは確かに人は賢くなっていたのです。ほんの僅かな変化ですが、それに賭けてみる価値があるんじゃないかと思える程度には変わっていたのでしょう。バブルがはじけて、その後の再生の20年を経た今になって、私にもアムロの言っていたことがようやく腑に落ちました。
政治をしている連中は相変わらず底抜けの無能ばかりですが、川も大気もバブルの頃から比べ物にならないほど奇麗になりました。

それでもまだ汚染前よりは汚いし、いろいろ問題点は山積みですが・・・

 

要は時代とともに見る側も作る側も教育が行き届いてそこそこ賢くなったので、勧善懲悪のような単純なお話より複雑な物語を好むようになったという訳ですね。ただガンダムはいろいろ偶然の要素が重なって時代の流れを飛び越えているので、それをリアル系の元祖として考えるのは止めた方がいいと思います。

 

長くなりましたので、今日はこの辺で・・・