kindle沼日記

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大人の裕福?

最近見ていても陰鬱な気分にしかならないニュースばかりですが、ドラマも見なけりゃスポーツ鑑賞もしない私としては、世間話の話題として見ない訳にもいかないのが歯がゆいところ。そんな私ですが、最近ニュースで耳慣れない言葉を聞いて頭を悩ませております。

 

その言葉は「子どもの貧困」。
対義語は「大人の裕福」になるのでしょうか。

 

まず文法としておかしいですよね、「子どもの貧困」。「子どもの靴」とか「子どもの目線」とか、子どもが所持してるものなら違和感はないです。「子どもの運動」とか「子どもの食事」みたいに「○○する」という動詞的活用が出来る場合も問題はないですよね。
それが「子どもの貧困」って、なんですかその使い方。形容詞的活用をするものも使っていいなら「子どもの新規」とか「子どもの最大」とかもいいんですかね。まだ「貧困の子供」なら分かるんですが、日本語もろくに使えない人達が報道にごろごろいる事実にうんざりします。

 

それに飽食の時代とか言われた日本で貧困って言われても戸惑いますよね。まあその辺は相対的な価値観でもあるので、今の時代に都合のいい形の貧困が生み出されたんでしょうが・・・
ちなみに40代のおっさんである私の貧困観は、日雇い労働でその日暮らしって感じですかね。子供なんかだと学校に行く余裕もなくて、農家や町工場で働かされてたり、漁師町で一日中子守させられてたりするイメージです。

 

「子どもの貧困」って、日本の場合だとひとり親の家庭では経済的にいろいろ厳しいという程度の話のようですね。
そんなの福祉でなんとかすりゃいいような気もしますが、かの民主党ですら子供手当として子持ち世帯全部を狙うしかなかったくらいですから、ひとり親世帯なんて数が少なくて選挙の票田的な魅力はなく、ゆえに自民党が有効な手を打つ可能性は皆無ということなんでしょうね。
特に選挙の票数に結び付かないなら今まで支援してきた農村すらあっさり切り捨ててTPP賛成に豹変するという、今の金と票にしか興味のないAHO政権ならなおさらでしょう。

 

ただ「子どもの貧困」とやらを教育の問題と結び付けようとするのは、私には無理があると思えます。
子どもの学力が下がるのは、単に彼らが興味がないことをしなかっただけでしょ。
興味のないことを無理やりやらせても、それが子どもの為になるとは思えません。裕福な家庭が塾やらなんやらで子供の自由を縛るというのなら、「子どもの裕福」も十分に不幸だと思うのです。

 

本質的には今の学校の勉強もゲームも同質です。どちらも与えられた課題を与えられた条件でクリアするだけの、反復問題にすぎません。
学校の勉強が面白くないというのは、教える側の質が低いからです。

教える側の質が低くても、学ぶ側が十分優秀なら勉強はつまらないなんていいません。あの先生はつまらないというでしょう。残念ながらどちらの質も低い場合に、勉強はつまらないなんて言い出す連中が出てくるのです。

 

人間は基本的に知識を増やして応用することが好きに出来ています。だからかなりの人が反復学習の塊でしかないゲームに夢中になっているでしょ。
勿論、すべてのゲームが面白い訳じゃありません。クソゲーと呼ばれるものも大量に出回ってます。でもそうしたものはほとんどの人がやらないので、いずれ淘汰されていきます。
ところが学校の先生は面白くない授業をしても淘汰されないので、学校の勉強に面白みを感じない子供が増えているだけです。面白い授業が出来る先生だと、生徒だって勉強が好きになるでしょう。教えられる側の子どもの問題じゃなく、教える側の大人の問題です。ダメな教師をきちんと淘汰できるようにすればいいのです。

 

大阪では公募校長に限っての話ですが、ダメな人はすぐに淘汰してくれるようになってくれました。それを一般教師にも適用していただければ、大阪の教育問題はほとんど解決するでしょう。

 

ついでに「子どもの貧困」なんていう変な日本語を使う人達も淘汰してくれないですかね・・・