kindle沼日記

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ダンクーガを見終わって

関西で再放送されていたダンクーガがついに最終回を迎えたので、今日はそれについて語りたいと思います。

 

前にも書いた気がするけど、個人的にダンクーガがいわゆるスーパーロボットの最後の作品だと思っています。勿論、その後に勇者シリーズやら他にもいろいろそれ系の作品が発表されているのは知っています。ただダンクーガとその後のスーパーロボット物って、スーパーロボットというカテゴリを意識しているかどうかに違いがあると思うんですよ。

 

ダンクーガ以降のスーパーロボット物は、それ以外のものも作れるスタッフがスーパーロボットというジャンルをリスペクトして作ったものという感じです。スーパーロボット復古主義とでも言えばいいでしょうか。スーパーロボット物を見て育った世代が、昔を懐かしんで作ったものなのです。
逆にダンクーガは、スーパーロボット物しか作ってこなかったスタッフが、なんとか新しいものを作り出そうと努力したけど結局いつもの枠に収まってしまったという感じでしょうか。言わば古典ですね。

 

例えば今のスーパーロボット物で博士が「このメカのエネルギーは180日と三日しか持たない」なんて言えば、それはお約束的なネタとして処理されるか、きちんと納得できるような説明が入ったりするでしょう。でもダンクーガのスタッフはネタでなくマジでそれをやっちゃう、その台詞だけで問題ないと考えちゃう人達なのです。

 

ダンクーガが古典的なスーパーロボット物の最後になったのは、私にとって僥倖でした。実は私、幼少時はスーパーロボット物では博士ポジションにあこがれていたんですよ。主役もなかなかかっこいいですが、最前線で戦っていろいろ苦労しそうじゃないですか。それに引き替え博士はパイロットを選んだり作戦を指揮したりと、あまり苦労しない割に絶大な権力を持っています。

 

強いロボットさえ作れば、後は左うちわな生活ができるんですよ。

だから小さい頃はどんなロボットを作るかを夢想しても、それに乗ろうとは思わない子供でした。友達なんかに「僕の作ったロボットに乗せてやるよ」というような子供だったのです。

 

ところがですね、宇宙大帝ゴッドシグマという作品で、私の人生計画に大きなひびが入ることになるのです。
ゴッドシグマの博士も初めはよくいるタイプの博士で、私も将来の為に彼を観察してたのですよ。それがストーリーが進んでいくと・・・真理を追究する為にはどんな卑劣な手段も使うようになって、ついには人類を裏切ってしまったのです。よく敵側に出てくるマッドサイエンティスト、それが彼の本性だったのですよ。


これはまだ幼かった私には衝撃的な展開でした。
強いロボットを作ることは人類の敵になるかもしれないのです、私の将来の設計が無茶苦茶です。しかもその後いわゆるリアルロボット主流の時代へ突入します。

ガンダムの再放送に熱中して、さらにサンライズの黄金期を経験して私も成長しました。正義と悪の二元論は卒業したし、開発者が作戦指揮するなんてありえないことも知りました。こうして私の博士へのあこがれは幕を閉じたのです。

 

でも子供の頃に好きだったものが、嫌な印象のままになっているのはなんとなく居心地の悪いものです。あなただって子供の頃に好きだった歌手や俳優が何か事件を起こしてそのまま芸能界から消えたら嫌な感じでしょう。
そんな感じでくすぶっていた私の過去の思いを、ダンクーガは救ってくれたんです。

 

葉月博士はやってくれました。

初めは作戦指揮者のイゴール将軍と意見の合わないことも多く、また粗野なパイロット達とも価値観が全然違ういかにもホワイトカラーの研究者という感じでした。
どうせこの人も裏切るか、途中退場するんでしょと期待もしておりませんでした。
ところが、退場するのはイゴール将軍の方で、しかもその後は作戦指揮までこなすじゃないですか。


葉月博士は過酷な体験をするパイロット達を労わりつつ、やるべきことはきちんとこなす意志の強さも持ち合わせています。すでに絶滅していた博士像が、まさかの復活です。

ダンクーガの頃には、私ももうスーパーロボット物に熱中できるような年齢ではありませんでしたが、それでも昔はあこがれた博士に対する印象を蘇らせてくれたことには今でも感謝しております。