kindle沼日記

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「学校の勉強は役に立たない」という人達

ここ数日はニュースも台風情報一色で、見てていらいらすることもなく非常に心穏やかな休日を過ごせました。

 

ニュースに何を望むのかについては人によっていろいろあると思いますが、私としては正確な情報の入手が一番の目的です。今後のことをあれこれ判断する為の材料が欲しいんです。そういう意味では、気象情報って利用の仕方も分かりやすくていいですね。

 

情報の利用という面で聞いてて恥ずかしくなるのが、「学校の勉強は役に立たない」という人達。
知識の価値は希少性にあるので、皆が知っているという知識に価値が少ないのは仕方ありません。でも知識というのは所詮道具でしかありませんから、どう使うかが見せ所なのです。

 

知識の使い方でてっとり早くも難しいのが、普通の人とは別の角度から切り込むこと。

例を言うと、既にありふれたものになってたMP3プレイヤーと当時は前途多難だった音楽のデータ販売を組み合わせて一大ムーブメントを作ったiTunesですね。どちらも多くの人が知ってるものでしたが、別の角度から再構成することで誰も予想しなかったものに化けました。こんなことは勿論誰にでも出来ることでないので、それが出来ないからって卑下する必要はないと思いますが、出来ないと威張って言えることでもありません。

 

時間はかかるけど堅実なのが、知識を掘り下げていくこと。
歴史の授業で気になったことを調べていって歴史学者になったり時代小説家になったりした人もいるし、理科の授業がその後の物理や化学の窓口になった人だってたくさんいる訳ですよ。

私みたいに「クトゥルーオペラ」を読んで邪神と戦う為に物理学を修める決心した変わり種もいるでしょうが、専門分野への窓口として見た場合に今の学校で教えていることは、それほど的外れではありません。よく意味のないものの代表に上げられてる三角関数ですが、いや、それ実用数学の筆頭ですよ。あなたの住んでる家、三角関数使わずに設計なんて出来ませんからね。住むのなんて縄文式住居で十分というような人でもない限り、三角関数の恩恵を受けているんですよ。意味がないなんてとんでもない誤解です。

 

きちんと知識を掘り下げる手間を惜しまない人達にとっては、学校の勉強はきちんと役に立っている訳です。別の角度から知識を再構成する知恵もなく、知識を掘り下げる手間も惜しんだ人が、「学校の勉強なんて役に立たない」とか平気で言っちゃう。
うまく料理が出来ないことを道具のせいにしちゃう人がいますが、プロのコックさんなら百円均一の店で揃えた道具でもそこそこのものを作れるんです。

学校の勉強が役に立たないと思えるのは、それを使いこなす技術や知恵が足りないだけ。そんなこと堂々と聞かされても、聞いてて恥ずかしいというかいたたまれないというか、もうそれ以上自分は才能も向上心もない馬鹿だって公言しなくていいですよという気分。

 

まあ私も学校で知識の活用の仕方についてもう少し踏み込んだ方がいいとは思っているのですが、それは発想方法自体を型にはめ込むリスクを伴うので、詰め込み教育で育った世代に教えさせるのは不安。奴らは正しさというものに対する幅がまったくなくて、自由な発想する人達をよってたかって潰して生きてきたような連中だから、
彼らが教壇を降りるまでは学校では知識を教えることを主体にするしかないような気もします。授業風景もオープンにして、ダメな教師をどんどん排除していくような過激なことができればいいんですけどね。

 

長くなったので、ニュースに対する愚痴は明日にでもまた書こうかと思います。