kindle沼日記

電子書籍のことを中心にまったりとやっていきます

その情報は必要ですか

さて昨日に引き続きニュースというか、情報についての話を続けたいと思います。

 

昨日も書きましたが、私はニュースには生活に役立つ情報を期待しています。私が見ててイライラするのは、その情報をどう活用してほしいのか分からないというか、分かりたくもないニュースに出会った時です。

 

例えば殺人事件で誰がどの辺りで殺されたかというのは、犯人が捕まっていない場合に重要な情報ですよね。気をつけなければいけない場所とか狙われやすい人を推定して、悲劇を未然に防ぐ為の対策が取れますから。そういう情報を伝えようとする意図は理解出来ます。
ところで最近だと、被害者の少女の遺体がどんな風に遺棄されたかを事細かに伝えるニュースがありましたが、その情報って一般市民にとって必要ですか?
私の記憶を探った限りだと、自分の知り合いが事故にあって身体欠損した状態で死んだ場合、その損壊状態を事細かに周囲へ説明して回るような人に出会ったことはありません。ネットを検索しても自分の親族の死体の状態について事細かに記述するようなブログは見かけないですし、そうした行為は一般的でないと思うんですよ。それなのに事件で殺された少女について事細かに報道する理由は何ですか?


彼らはその情報で視聴者に何をしてもらいたいのでしょうか。

 

例えば自然災害が発生した場合、その場所と規模を伝えるのは二次災害を防ぐ上でも重要ですよね。だからそれがニュースになるのは理解出来ます。
ところでその災害の被害者の親族を追いかけまわして、彼らが泣き出すまでインタビューするのは何故ですか? 被害者の親族の表情から、何か災害を防ぐ為の有益な情報が得られるのでしょうか?

 

例えばノーベル物理学賞の報道は、まあ重要ですよね。
ところでまたしても日本出身のアメリカ市民を、日本人受賞者だと誤解を招くような報道しているのは何故ですか?
日本における研究者の扱いや司法の不透明な判断に未だに怒りを覚えているという人を、単に日本人受賞者としてだけ伝えるのは日本の間違ったやり方についての問題提起するチャンスを失わせるだけじゃないですか。

 

ええ、知ってます、知ってますよ。一部の人達にとって、ニュースというのは生活に役立てる為の情報なんかじゃなくて、ただのゴシップだってことは私だってわかってます。
彼らにとって自分の知らない人が残忍に殺されたことは聞いてて面白い娯楽だし、身内の不幸に嘆いている人を見て自分の幸せを実感しているのだし、優秀な技術者が日本を捨ててこの国が衰退させないようにすることなんてどうでもよくて、ニッポン人としてお祭り騒ぎ出来れば将来のことなんて気にしないと考えていることは十分に理解しています。


そして彼らが喜びそうなことをマスコミが大きく伝えるということは、現時点のニッポンではそうした下衆が主流派ということも認識しています。街ですれ違うほとんどの人が、小学生の女の子が無残に殺されたという事や、大切な人を失って悲しみにくれている人を見ることで、どす黒い喜びを感じている訳です。少なくとも報道側の連中はそう判断しているから、そんな彼らが喜びそうなニュースを流しているのです。

 

そんな生活の役に全く役に立たない、人の不幸を喜ぶ為の情報を見るたびにイライラしてしまいます。いやもう日本人として、ホント腹立たしいやら嘆かわしいやら・・・
それでも昔に比べたら、それこそ十年前と比べても随分マシになったと分かってはいても、まだまだこの程度のレベルでは納得は出来ないですよね。