kindle沼日記

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今週のプリパラ

ついに校長と完全対立。

今までスタッフが用意していた前半の山場だけに普段は協調が多いプリパラでこんな真正面からの対立は珍し・・・・・・いやいやいや、そんなことより重大なシーンがありましたよね?

あの双子、やっぱりお風呂も一緒でしたよ!

 

こうなってはプリパラのテーマとか今後の展開なんて語ってる場合ではありません。

今日はドロシーについて考察したいと思います。

 

プリパラのジャイアンことドロシー、自分のことを「ボク」と呼んではいるのですが、所謂「ボクっ娘」とはいろいろ違います。そもそも「ボク」というのは男の子の呼称ですから、あまり女の子っぽいことはしません。ところがドロシーはことあるごとに自分には色気があると主張してるし、転校して来た時はクラスの自分に批判的な男の子を誘惑?してるし、自分が女の子であることに何の疑問も抱いていないようです。

じゃあキャラ付けの為に自分のことをボクと呼んでいるのでしょうか。

非常に自信過剰かつ自分に都合のいい判断をよくする娘なので、キャラ付けのような自分を曲げることはしない気がします。

 

次に特徴的なのは双子の兄か弟のレオナへの執着。一見気弱で依存気質なレオナの方が自立を模索し始めているのに、一見活発なドロシーの方がレオナを放そうとしていません。ジャイアン的な独占欲なのかも知れませんが、友人を作ることすら否定するのはちと行き過ぎでしょう。

 

ドロシーの初登場は主役コンビが三人目の仲間を探していた時ですが、一度は仲間に選ばれた彼女が外されたのはレオナが居たからです。自分とレオナは二人で一人と主張したドロシーですが、それが答えな気がします。ようはまだ子供なので、自我がきちんと固まっていないのでしょう。自分を構成する要素の中に、レオナの存在もがっちり組み込んでしまっているのです。だからレオナが自分から放れていくことは、今のドロシーにとっては自分が自分で無くなることを意味しているのでしょう。自分のことをボクというのは、無意識のうちに男であるレオナとの距離を縮めようとしているのかもしれません。そんな状態なので、部屋も一緒がいいし、お風呂だって一緒なのでしょう。

まだ子供なので世界の把握の仕方も単純です。自分の気に入らないものは敵で、自分は常に正しい。そう思ってるから、校長室へ盗みに入っても悪いことをしてるなんて思わず、仲間に庇われてもその意味が分かりません。男の子を誘惑するのも、子供がうんこと言って大人の反応を楽しむのと同じで、意味を把握していないままに相手の反応を楽しんでいるのでしょう。だから女の校長にだって目力で挑んでしまうのです。

これからいろいろ経験して成長していくうちに、世の中が単純に敵と味方で色分けできないと気付いていけば、いずれレオナとも適切な距離で接していくことになるのでしょう。

 

レオナの方は・・・彼が女の子の格好をしてるのは、単にそれが好きなだけのような気がします。