kindle沼日記

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人工知能に脅威を感じちゃう人達って・・・

最近ニュースでうんざりする言葉の一つに「人工知能」があるのです。
アナウンサーやコメンテーターがしたり顔で「このままでは人工知能に支配される時代が来るかもしれない」みたいなことを言うたびに、コンピュータの仕組みも知らない馬鹿が妄想に浸っているというか、そのレベルの言説がテレビで垂れ流しにされても問題と思われないほど日本のレベルは低いのかとうんざりします。

 

コンピュータなんて人間の命令通りにしか動かないただの箱ですよ。
どれだけ今のコンピュータがどれだけ進化しても、プログラムがなきゃただの箱です。
プログラマやシステムを運用する人達がコンピュータに命令をして、その命令に従って労働者に指示を出すという構図でしかないのに、何故マスコミに属する人達はコンピュータに支配されているとか言いだしちゃうんでしょうか。

 

そもそも今のコンピュータがどれだけ進化しても、残念ながら人間のような判断が出来るようにはなりません。何故そんなことを自信満々に言えるのかというと、コンピュータがプログラムによって動いているからです。

プログラム言語と言われることもあるように、プログラムというのは言葉です。
コンピュータがただの計算機と違うのは、プログラムによって論理演算ができるからなんですね。
平たく言うと、「入力されたのが1の時はAの処理をして、2の時はBの処理をする」みたいな、条件によって論理的に処理を変えることができるのです。


えっ、まるで人間のようじゃないかですって?
もし本当にこれが人間のようだと感じるなら、あなたは人間ではありません。
私の知る限り、人間はそんな論理的判断なんてほとんどしてませんから。

 

例えばですよ、街角から突然犬が飛び出て来たとします。
あなたはどういう理由でそれを犬だと判断しますか?

 

それが猫でも狸でもなく、犬のぬいぐるみでもなく、犬であると、どういう理由で判断しますか?

 

例えば犬のことをよく知らない人なら、辞書や図鑑を調べて、その色や形や鳴き声の特徴から論理的に判断するかもしれません。でも普通の人なら、飛び出してきた犬を見てから、それが犬だと結論するまでの間、論理的な判断なんかしている訳がありません。
犬を見た瞬間に、考えるまでもなくそれが犬だと分かったはずです。

このように人間は、ある程度知識や経験のある事柄については、論理的判断をスキップして結論を導きます。それを論理的に説明しろと言われても、論理が介在していないんだから説明なんか出来る訳がありません。
論理ではないので、論理でしか動けないコンピュータにはそれを真似することなんて出来ないんです。

 

この知識や経験の蓄積から即座に判断する能力を、私は概念と呼んでます。
我々の多くは犬という概念を知っているので、それを論理的に判断するまでもなく犬だと結論できます。
より多くの知識と経験を積めば、より多くの概念を身に付けることができます。
より多くの概念を身につければ、より多くのことを瞬時に結論できます。
よく天才肌の人と話していて話が通じないと言われるのは、彼らが論理ではなく概念で判断することが多いからです。

 

ちなみに犬や猫と心が通じるような気がするのも、彼らが仲間や食事など人間と共通する概念を持っているからです。
概念はそもそも言語が発生する以前に、哺乳動物が獲得した能力だと私は考えています。その後、人間は言語を獲得することにより多くの知識を蓄え、さらに多くの概念を手に入れたのでしょう。

 

勿論、知識や経験がベースになっている以上、間違った知識や偏った経験で事実とは異なる概念を身につけちゃうこともあります。
そーゆーのは概念ではなく、偏見とでも呼んだ方が分かりやすいでしょうね。

 

誰にでもよく吠える犬というのは、人間は悪い奴だという偏見を持っている訳です。パブロフの犬だって、人間の馬鹿な実験で歪んだ偏見を植え付けられた可哀そうな奴なんですよ。

 

そんな訳で、今のレベルの人工知能を恐れる必要なんかまるでありません。
ただの便利な道具なので、便利に使い倒せばいいだけです。
それをやたらに恐れているのは、正しい知識も経験もないただの偏見というものですよ。