kindle沼日記

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過去の夢

凄い夢を見たので、今日はその備忘録。


私は自分を賢いと思っているタイプの馬鹿で、いやはや相手の愚かさを指摘して糾弾するのは気持ちいいですからね。
器の小さい人間にはやめられない快感なのです。
ぶっちゃけ世間で評価される賢さなんて状況によって変わるので、世間に評価されない方向に特化してる私なんかはせめて自分だけでも自分を評価しようと思いつつ、客観的に俯瞰して馬鹿なところも色々把握できてしまうので、自分の賢さというものに一抹の不安があった訳です。

 

でもやっぱり私は賢かったよ。ひょっとしたら馬鹿じゃないかと不安に思ってごめんなさい。

 

ことの発端は夢を見ていたことです。
いや、あれは夢とは言えないかもしれません。眠りながらいろいろ考えていたので、寝惚けていたという方が正しいのかも。

 

問題はその内容です。
皆さんは昔の写真というものを見たことがありますか?
半世紀も前の資料になるとなんかモノクロでピントがぼけているようだったり、画像が荒くて細部がよく見えないものが多いと感じたことはありませんか。
さらに写真の前の時代になると絵だったりして、これじゃ細部のことなんて分からない。昔のものって何故あんなに精度が悪いんでしょうか。

 

そりゃ技術的に未発達だったり、経年劣化で汚れたり壊れたりしているんだから分かりにくくて当然だろう、普段の私ならそんなふうに考えて終わりでした。
でも眠っている私はそんな答えじゃ納得しなかったんですね。

 

物語では、未来が分岐するというものがたくさんあります。
例えばドラゴンボールだと、「ゴクウが死んだ未来」からトランクスが来て「ゴクウが死なない」世界に分岐ささせましたね。
未来には無数の選択肢があって、その選択肢の分だけ時間は分岐しているという考え方はSFの分野ではもはや一般的です。これを読んでるあなたも、この続きを読むあなたと飽きてここで読むのをやめたあなたという二つの未来に分岐しているかもしれません。
でも、そんなに未来が多くても大変だなとは思うんですよ。
二つに分岐すれば、エネルギーは二倍ですよ。無数に分岐したらどれだけエネルギーが必要なんだよと。

 

ところであなたは枝豆をいつ食べたか覚えていますか?
その時枝豆を何個食べたか、きちんと把握していますか?
十個食べたかもしれないし、二十個かもしれないし、三個だったのかもしれない。
自分のやったことなのに、きちんと確信できないのは何故でしょうか。

それは十個食べた自分も二十個食べた自分も三個食べた自分もいるからだと、眠っている私は考えたんですね。


先の未来の話だと、枝豆を食べる前の時点から、枝豆を十個食べた場合と二十個食べた場合と三個食べた場合に時間がわかれている訳です。
でも枝豆をいくつ食べたかなんて些細なことでわかれていたら、エネルギーがどれだけあっても足りません。だから一度は分岐したものの、それ以上大きな変化がない場合は後でまとめられてしまうんですね。
その結果として、枝豆をいくつ食べたかという記憶もあやふやになるんです。
あるいは自分で十個だと覚えていても、お前は二十個食べてたよと友人に言われたりすることもあるでしょう。

 

昔の資料の写真が粗いのも、幾つもの過去が統合された結果です。
例えば性別が分からないほど粗い写真があったとすると、その写真に撮られた人が男性だった過去と女性だった過去が統合されちゃった可能性があります。
どっちの過去も正しいものではあるのですが、歴史に作用しないようなどっちでもいいことは統合されて、どちらか分からない状態になっちゃうんですね。
明智光秀が信長を裏切った理由も諸説ありますが、あれなんかも裏切ったということが重要でその理由なんてどうでもよかったので、いろんな理由で裏切った明智光秀が居たんですが後で統合されて理由が分からなくなっちゃったんです。

 

未来は無数に分岐するけど、過去も無数に統合されるから全体のエネルギーは変わらない。現在の我々が過去の事象を明確に説明出来ないのは、過去が複数あるからだという訳です。
真実は一つだなんてのは嘘っぱちで、統合された過去の数だけ真実は「あった」んですね。そして統合された時点で、どれが真実なのかは分からなくなるのです。


そのような結論とともに、その時私は目を覚ましたのです。

 

典型的な悪魔の証明だし、本当だとしても利用する方法もなく、それこそSFの題材にでもするしかないようなものなのですが、寝ている間に考えたことなので仕方ありません。まさに寝言ですからね。

いやはや、寝ながらこんなことを考えている自分が賢すぎて恐ろしいです。
このままでいずれ神の領域まで到達してしまうかもしれませんね・・・