kindle沼日記

電子書籍のことを中心にまったりとやっていきます

ジャレド・ダイアモンド著・倉骨彰訳「銃・病原菌・鉄」を読んで

先週から日照が少なく、ベランダ菜園の野菜ときたらゴーヤは実がほとんど成長せず栄養がいきわたらないのか花がつぼみごと全て枯れ、ピーマンの実の成長も芳しくなく、トマトは完熟する前に実が強風に煽られて落下するという有様。

今週もまた雨ばかりのようで憂鬱です。

海外ではギリシアが大方の予想を裏切って無謀な選択をして、同じく寄生虫市民による将来への影響を考えない愚かな選択をしてしまった大阪市の市民としては

笑えない喜劇ですね。後世の学者が、この人間がどこまで愚かで厚かましくなれるのかという社会実験をどう評価するのか興味の尽きないところではありますが・・・

 

さてそんな学者が過去のことについて書いた本を読んでみました。
kindleでお安くなっていたのと、最近はこの本を下敷きにしたと思われるものが増えてきたようなので、教養の為に読むことにしたのです。

 

この本は世界各地の文明や民族の興亡について、人種的な優劣でなく地理的な要素から考えてみましたよという読本です。


いかにも英語圏の学者らしく長々と回りくどい文体で書かれていて、実に読みづらい代物なので、斜め読みが出来ない人にはお勧めできません。

なぜこんな文体になっちゃうのかというと、まあアルファベット圏の本ですからね。ご存じのようにアルファベットというのはひらがなより文字数が少ない訳です。皆さんもひらがなだけで書かれた文章が、いかに読みづらく誤解しやすいかはご存じでしょう。
アルファベットで書かれた文の表現レベルはひらがな以下なので、複雑な内容を記そうとすればするほど、誤解されないように、長々と説明しなくちゃいけない羽目になる訳です。
アルファベット圏の人は大変だなぁと思いつつ、向こうの人達は日本語が例え表現力に勝っていてもたくさんの文字を覚える方が大変と思っているようなので、お互い様ですが・・・

 

さて内容についてですが、ネタとしては面白いですね。
でも過去の出来事について語る場合の注意点ですが、過去に起こったことなんて所詮結果論でしかないんですよ。
世の中、ちょっとでも複雑な現象というのは、正確に予測することなんて出来ません。99%の確率で成功するようなことでも、失敗する時は何度でも失敗するし、逆に1%の確率でも一発で成功する時があります。
そんなことを結果から語ろうとしても、所詮運か偶然ですとしか言いようがない訳です。
ところが客観的に物事を捉えられない人は、その運や偶然に理由を見出して納得のいく説明をでっち上げてしまいます。歴史の物語化とでも言いましょうか。ただの偶然の積み重ねを必然だと思いこむんですよね。

 

例えば成功者のビジネス本をありがたがって読む人達は、その成功者と同じ方法論で挑んで失敗した人が同時期に沢山いたということには気づいていない訳です。その成功者が成功して他の挑戦者が失敗したのが偶然の積み重ねとは考えず、成功者を神格化すらしちゃいます。
騙される人の典型的な見本ですね。


ちょっと話はそれますが、坂本竜馬を尊敬しているなんて言う人達は高確率でこのパターンです。
もう少し古い時代の人物や、歴史の表舞台できちんと活躍した人なら、いろいろな文献が残っていたり複数の人の解釈が残っていますが、坂本竜馬のような「近代の表舞台で活躍した人」の知り合い程度の人物だと、まだいろいろな角度からの考察がされていないので、そのイメージのほとんどは司馬遼太郎さんによって物語化されたものだったりします。
後百年もすればいろいろ研究されて客観的な見方も出来るかもしれませんが、今の時点での竜馬ファンというのは、事実と創作された物語の区別がつかないアレな人が多い訳です。

 

閑話休題

 

ただ確率というものは施行回数が多くなるほど結果も平坦化されるので、何千年という長いスパンで見ればそこに必然を見出すこともできるのかもしれません。
その辺がジャレドさんの目の付けどころがシャープな点ですね。
何千年もの期間があれば挑戦は何度でも出来るので、それで特定の地域だけがある特定の技術の獲得に成功したのなら、それは偶然ではなく、その特定の地域にはその特定の技術の獲得に有利な条件があったのではないかという切り口です。
考え方としてはさすがと思いますが、何分古い時代のことなので検証に可能な信頼できるデータ数が不足しているというのが正直な感想。
ところどころこじつけっぽく感じるんですよね。
それゆえにこの本は論文でなく、ただの一般書な訳です。
その辺のことをきちんと判断できるなら、一読することをお勧めします。

 

アメリカ人が先住民族をどんな風に語るのかというのも、興味深いところですしね。