kindle沼日記

電子書籍のことを中心にまったりとやっていきます

半藤一利著「日本のいちばん長い日」を読んで

今年は戦後70年という節目だし、まあ教養として読んでおこうかと思ったのですよ。

 

ぶっちゃけ面白くは感じませんでした。

まあ初めから結末は分かっているというのは、小説として読む場合には大きなハンデですよね。
小説しとして読もうとすると、時代背景は知っていて当然という体で書かれているし登場人物が多くて人物描写も少なく、これが架空の物語だったとするとどこの出版社の新人賞に送っても途中選考で落とされるレベル。ある程度あの時代を知っている人向けのノンフェクションであるからこそ価値があるのでしょう。

その意味では、他の歴史小説家みたいにやたら人物像を作り込んで強い印象を植え付けるような手法をとらなかったのは正解かと思います。

 

私はあの戦争に関しては「軍部とマスコミが自らの面子と利権の為に偽の情報で市民を騙して死地に追いやった」という、ナチスに対するドイツ人と同じ立場で解釈しており、あまりこの本の背景にある「お国の為に頑張った」的な精神は理解出来ないんですよ。著書は終戦時にはまだピュアな少年であり、子供時代に信じ込まされていたことを完全に否定したくないということもあるのでしょう。
最近の政治を描いた物語である「下ネタという概念が存在しない退屈な世界」に例えるなら、完全に言論が統制されて何が卑猥なのかすら理解出来ない世代と似たようなものです。その後に規制が解除されたとしても、一度歪んだ価値観はそう簡単に元に戻らないということなのでしょう。
三つ子の魂百までとも言いますしね。

 

あの時代の愛国心なんて、己の歪んだ欲望を奇麗に取り繕う為の言葉でしかありません。例えばクラブの先輩が「俺のジュースを買って来い」と後輩へ命令するのと一緒ですよ。
普通に考えればジュースを買わせることとクラブ活動には何の相関もありません。己の立場を利用した越権的行為、最近流行りの言葉で言うとパワハラですよね。

クラブの先輩程度だと、ジュースの使い走りくらいしかさせられません。
ところが戦時中の軍人や役人が「お国の為に○○しろ」と言われれば、一般市民に反抗なんて出来ません。「お国の為に」というのは最高の大義名分だし、軍人は鉄砲や刀を持ってますからね。暴行だろうが略奪だろうがやりたい放題です。
軍人にとって戦争に負けるというのは、そんな権力増大の魔法の言葉を使えなくなるということです。それどころか後ろ盾を失うと、今まで虐げてきた一般市民からどんな目にあわされるか分かりません。
戦後日本人があれほど簡単にアメリカの支配を受け入れたのは、それまでの大日本帝国のやり方にほとほと愛想を尽かしていたからじゃないですかね。

 

今でも「国の為に」なんて声高に言う人は居ますが、全部「俺の為に」と言いかえればいいですよ。「国を守れ」ってのは「俺を守れ」って言ってるだけです。
民主主義国家では市民の為に国が存在しているのであって、国の為に市民の命を脅かすなんてあってはならないことです。

 

まあそんな極端な連中ばっかりじゃなかったとしてもですね、私にはあの時代のあの場所にそんな連中がまるでいなかったとも思えないんですよ。
著者にとってこの本はあの時代に生きていたからこそ書けたということもあるのでしょうが、同じようにあの時代に生きていたからこそ書けなかったこともあるんじゃないでしょうか。
この本は残念ながらあの時代を生きていた人向けの本という感じですね。