「機動戦士ガンダム サンダーボルト DECEMBER SKY」を見てきました
サイコザク・・・サンダーボルト版の高機動ザクでなく、MSVのあのサイコザクが登場すると聞いて、「機動戦士ガンダム サンダーボルト DECEMBER SKY」を見てきたんですよ。
サンダーボルトに関してはプラモも買ってはいるものの、マンガは三巻まで読んでるだけの状態でした。なんとなく0083と同じ匂いがしたので興味を失ったのです。
0083の匂いというのは、「信念に生きる軍人ってかっこいい」という愚かなアレですね。
ガンダムの世界にはシビリアンコントロールという概念が無くて、何故かというと軍人が暴走した挙句何もかも無茶苦茶にした国で作られたアニメですからね。
ただガンダムがそれまでのアニメと違ったのは、主人公であるアムロが正義の味方ではなかったことでした。
それまでの日本のアニメは、正義の味方が悪い奴をやっつければ終わりで、お互いの立場の違いなんて無関係に主人公が悪いと思った奴が悪だったのです。
それに対してガンダムでは明確な正義は存在しませんでした。
Zガンダムではその考えを一歩進めて、自分の信念のままに人を殺す奴は悪だと断じました。
「お前のような奴はいなくなってしまえ」と言ったカミーユこそ、自分に反対する奴はぶち殺すという「お前のような奴」だった為に、自分自身の力で精神崩壊してしまうという爆弾を投じたんですよね。
ところが冨野さんの意図に反してこの爆弾は不発でした。
その頃の視聴者の多くはカミーユを正義の味方だととらえてしまったのです。
そしてその考えを推し進めて、0083のようなクソをひり出してしまった訳です。
「信念があれば人を殺しても許される」というテロリスト思想の産物を・・・
これにうんざりとした冨野さんがカウンターに放ったのが「逆襲のシャア」で、その中で信念を貫こうとしたシャアは、政治なんてどうでもいいというアムロに徹底的にボコられるのです。
アムロにとっては戦争を拡大させないことだけが重要で、だから最後にその思念がサイコフレームで拡散した時、連邦兵もジオン兵もアムロに協力したのです。
自分の信念を守る為に兵士になった訳でなく、戦火から誰かを守る為に兵士になったのなら、アムロに共感するのは当然でしょう。
ところがそこでも信念に命をかけたシャアかっこいいと拗らせた連中が後にユニコーンガンダムなんてものを作って、主人公のバナージの素直さもあって0083程酷くはなかったもののやはり全肯定するには至らず、ユニコーンとは真逆のさかしい少年が大人達を翻弄するGのレコンギスタの制作へと繋がったのですね。
ところが結論から先に言うと、冨野さんはGのレコンギスタを作る必要は特になかったのです。
何故ならその前にビルドファイターズが生み出されたからです。
ビルドファイターズによってガンダムは戦争から解き放たれました。
誰も死なないガンプラバトルによって、戦闘はスポーツへと昇華されたのです。
Gのレコンギスタも良いものでしたが、もうガンダムで戦争を扱う必要はなくなっていたのです。
だからGのレコンギスタ以外でビルドファイターズ以降にガンダムで戦争を語ろうとすることは、時代に乗り遅れているか、ガンダムというネームバリューを使いたいエセクリエイターだと自称しているようなもの。
じゃあサンダーボルトのスタッフはどうなのかと言うと、迷うことなくクソ野郎達ですね。
0083のような軍人讃美のクソではなく、戦場で命のやり取りに喜びを見出すクソ野郎共を描いた文句なしのクソ野郎達です。
正義なんて何処にもなくて、信念なんかとっくに踏みにじられて、人間の尊厳なんかに塵一つの価値もない戦場というクソな空間を、反吐が出るほど陰鬱に描いた輝かしいクソ野郎達。
ベトナム戦争ものなんかを見て陰鬱な気分になるのが好きな人にはお勧めです。
BGMはジャズですが、中身はけっこうロックでした。