kindle沼日記

電子書籍のことを中心にまったりとやっていきます

ジョージ・オーウェル著「1984年」を読んで

バーナード嬢曰く。」を読んで、そー言えば「1984年」をちゃんと読んだか自信がなかったことに気づいたのですよ。

それでkindleで検索してみたら、新訳版かつ黒を基調としたかっこいい表紙!
これは神林しおりの教えに基づいて、ちゃんと読むしかありません。

 

この辺りの有名どころは中学生の頃にごそっと読んでいる筈なのですが、何分昔のことで記憶も曖昧だし、当時利用していた図書館のラインナップも随分偏っていたりで、読んでるかどうかよく分らなくなっているんですよね。

この本に関しては読んでなくてもいろんな所で引用されてるし、それで読んだ気になってても特に問題なく過ごしていた訳ですが、それではあまりに町田さわ子的ですし、神林しおり的にちゃんと読まなくてはと思った訳です。
読み始めても初めの方はかったるい内容で正直つまらないし記憶にもなくて、やっぱり読んでなかったのかと思いましたが、中盤の女の人と隠れ家でいちゃいちゃする辺りで唐突に昔読んだことがあるのを思い出しました。
恐らく中学生的にエロいことの方が印象的だったのではないかと・・・

 

1948年にこれだけのものが書かれているのは凄いと思うものの、逆に共産主義の勢いがあったあの頃だからこそ書ける話なのかと思える部分もありまして、古典としては凄いし教養として押さえておくのはいいけれど、今となっては過度にもてはやすようなものではないなという印象。
いや分かるんですよ、作中で使われてる造語がとても刺激的でつい使いたくなる中二病的な魅力ありますもんね。
町田さわ子的に言うと、馬鹿は内容が理解出来て無くても何か引っかかるとこがあれば分かった気になって満足するみたいなことですよね。

この本は全体主義への警鐘みたいな文脈で語られることが多いですが、時代背景的にも内容的にも独裁主義による支配への警鐘であって、それを全体主義というのは資本主義の問題を民主主義の問題と勘違いしてるような頭の悪さを感じます。
なのでこれを全体主義への警鐘的な文脈で使うような人は、ネット界隈によく居る煽り力の高いタイトルに引き寄せられて記事を読まずに批判する馬鹿と同様の人種と思ってスルーした方がいいですね。

 

これをディストピアとするのも違和感があって、虐げられてる庶民からすれば酷い社会ですが、その社会を作り上げた支配者層からすれば素晴らしいユートピアでしょう。
無知による偏見と権力による横暴が横行した時代を「美しい日本」と言っちゃう連中がいるのと同じですよ。
ディストピアというのは、もっとこう最大多数の幸福を追求し続けたのに何故か行き詰った的な、生きるのに不足はないけど何故か息苦しい的な感じであってほしいものです。
伊藤計劃さんの「ハーモニー」とか、新井素子の「大きな壁の中と外」とか。
この本みたいに一部の支配者層が少ない資源を搾取したい為に庶民を洗脳するというのは、単に独裁統治でしかないと思うのです。

 

そんなことが分かっただけでも、ちゃんと読むことの大切さを感じますね。
神林しおり的には「KAGEROU」もちゃんと読んだ方がいいのでしょうか・・・
いや私は「KAGEROU」を興味がないから読んでないだけで、読んだ気になってちゃんと読んでない訳じゃないんですが・・・