kindle沼日記

電子書籍のことを中心にまったりとやっていきます

「この世界の片隅で」を見てきました

「この世界の片隅で」を見てきたんですよ

 

実は描かれている時代が時代だし、学生時代に広島にいたこともあって、ちょっと警戒はしていたのです

だって政治的な話になりやすいでしょう、題材的に

 

でも食わず嫌いしかけた「聲の形」が良かったので、こっちもあまり気にする必要はないかと思ったのですよ

 

結論から言うと、これを見て政治的な話にならない訳がないと思います。

映画的には政治的主張を抑えてあの時代を再現することを重要視した、ある意味ドキュメンタリ的なものだと思うのですが、あの時代を詳しく描けば描くほど政治的背景から抜け出せない気がします

 

私の政治的立場は「戦争反対」です

問題解決の為に人を殺すことは一般的に言って犯罪だという立場です

 

そして広島の多くの人達は「戦争反対」でなく「核兵器反対」という立場です

戦争は別にいいけど核兵器は使っちゃ駄目という人達です

だから彼らは空襲も認めています

原爆には追悼しても、呉や各地で起きた空襲を追悼する気なんてこれっぽっちもありません

空襲まで追悼してたら原爆被害のプライオリティが下がりますからね

空襲被害まで気にしたら日本だけでなくイギリスやドイツ、最近だとコソボやシリアまで追悼しなければなりません

広島の人達は自分たちが一番酷い目にあったと思っていたいので、原爆被害しか気にしません

だから呉の空襲なんてどうでもいいことだし、その結果急速に薄れていくその記憶を留める為にこの原作が作られて、映画にもなった訳です

 

主人公のちょっとぼんやりしたすずさんが、周りに流されるように生き続け、酷い時代でも希望を捨てず精一杯生きた物語といえば聞こえはいいですが、すずさん達を襲ったあれらの出来事自体ほとんどが人災ですからね

人が人の判断で人を不幸に陥れていただけですからね

だから玉音放送を聞いた時、あの人は「全滅するまで戦う気がなかったのなら、こんなに被害が拡大する前にさっさと負けを認めて戦争を終わらせておけよこのクソ野郎(意訳)」と激怒したんじゃないでしょうか

 

あの時代、日本に住んでた殆どの人が、すずさんのように周りに流されてなんとなく生きていて、その挙句があのざまだったんじゃないでしょうか

無責任なマスゴミに煽られて、阿呆な政治屋と強欲な軍人に従って、その結果として大切なものをいろいろと失ってしまったのじゃないでしょうか

嫌なことは嫌と皆が言っていれば、あそこまで酷いことにはならなかったんじゃないでしょうか

あの時代に、うっかり周囲に逆らったらそれはそれで酷い目に合うこともわかってはいるのですが・・・

 

そんな感じで、私にはこの映画を政治と結び付けずに語ることなんて出来ません

むしろこの映画を政治と結び付けられない人は、どれだけ無知で鈍感なんだとすら思います

 

政治の話を抜きにするなら、すずさんと旦那さんとの出会いになった人さらいの件は、実際にはどんな出来事だったのか気になるところなんですけど・・・

座敷わらしの方が種明かしされてるだけに、余計に気になるんですよね