kindle沼日記

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なぜ人を殺したらいけないのか

最近、ニュース見てても嫌な気分になることばかりなので時事ネタは控えていたのですが、いいかげん腹の内にも収まりきれなくなってきたのでこの辺りでちょいと吐き出しておきます。

 

大人を困らせる定番の質問に「なぜ人を殺したらいけないのか」というのがありますよね。
これは幼児がやたら「うんこ」とか言ってはしゃぐのと同じで、言われた相手の反応を見るのが面白いから定番なのです。だから分別のある大人としてはちょっとあたふたしてあげるくらいのサービスが必要なのですが、今日は大人気もなくマジに語っちゃいましょう。

 

ぶっちゃけると、人の嫌がることはするなということです。
世の中には殺されたくない人の方が圧倒的に多いのです。
「俺は別に殺されることなんてなんとも思ってないぜ」という人は、同好の士を集って殺しあってくれても構いません。最後に生き残った奴を逮捕すれば事件は解決です。

 

人間誰しも嫌なことはされたくない訳で、そんな目に合いそうな場合はそれを避ける為にいろいろと準備をする訳です。
ところが人殺しがいっぱいいるようなところで殺されないようにしようとしたら、いろいろと大変です。家は人殺しが入ってこないように防犯設備をいっぱい導入しなきゃいけないし、出歩く時は人殺しに対抗する為に防弾チョッキやヘルメットで防御しなければなりません。場合によっては装甲車を用意しても安心できないでしょう。


そんなこといちいちしてたら大変です。
だから殺人に限らず、大抵の人が嫌だと思うようなことはしないようにしましょうと取り決めているのです。そんなことをするような奴がいたら皆で協力してなんとかしましょうと取り決めているのです。その取り決めが宗教であったり道徳であったり常識であったり法であったりする訳です。


ただ道徳やら常識なんてのはかなり曖昧なものなので、人を裁く尺度としては一般的に法が尊重されます。
法ならきちんと明文化してるので、道徳やら常識より公正に判断できるとされている訳ですね。公正ってのは、より多くの人が納得できるということです。納得できない人がほんの少しいても、無視されるのが世の習いです。


勢いでうっかり人を殺したという場合は刑務所でしばらく反省しておけとか、念入りに計画して殺した場合は社会から排除(死刑)してしまえとかを、法に定められた手順に沿って確認して皆で決めていく訳ですね。
その辺をシステムで自動化したのがサイコパスのシュビラシステムで、常守さんはやっぱり人の判断が必要だろと怒っていた訳ですが、その辺のことは話し出すと長くなるのでまた別の機会にでも・・・

 

たくさんの人が嫌がるようなことはするなというのが法の原点なので、法を犯すことには当然それ相応の罰則がある訳です。ただ時代によって価値観も変わってきますので、その時はどう変えるかというのも近代の法には定められてます。
至れり尽くせりですね。


だから気に入らない法があるのなら、手順に則って変えてしまえばいいんです。
皆が同じように思ったら、変えることは可能です。結局は多数決です。

 

ところが最近は「俺が派兵したいから、集団的自衛権で派兵できるようにする」とか言いだす奴がいますからね。
何度も言いますが、今まで法で駄目と言われてたことをしたいなら、手順に則って法を変えればいいのです。それをしないで法を捻じ曲げる奴が大した批判もされず堂々と居座っているのですから世も末です。

サイコパス劇場版で常守さんが選挙しろって怒ってたのと同じです。
多数決をとらないで決まりを変えようという奴を独裁者っていうんですよ。
住民投票をしようとしない大阪市議会も独裁者の集まりです、橋下さんの方じゃなくてね。

大人がこんなふうに法をないがしろにする今の日本じゃ、そりゃ「なぜ人を殺したらいけないのか」なんて当たり前の質問にも答えづらくもなる訳です。
少なくとも多数決をないがしろにする今の政府と大阪市議会には、きちんと答えられない質問ですから・・・