kindle沼日記

電子書籍のことを中心にまったりとやっていきます

百文字以下の存在

寒いですね。

今年は景気がいいか悪いかは別として、去年よりは忘年会の場所が確保しにくいらしく、忘年会がやたら変則的になって困ります・・・

 

話は変わりますがなんだか英語教育でいろいろ画策しているようで、英語教育の見直しというのは定期的に出てくるものですが、個人的にはなんだかなぁという感じ。

 

英語教育というものが英会話能力を高めるということについて言っているなら、まずは英語を話せない教師から教員免許を取り上げるところから始めないと駄目だと思います。私は英語はからきし駄目で、読めないし話せない部類なのですが、私の名誉の為に言っときますとこれは英語が苦手なのではなく、する必要がないことに無駄な労力をつぎ込まない主義だからです。

だいたい日本に住んでて英語が話せてよかったと思うことが年に何度あるというんですか。英語が話せなくて困ったという事態がどれだけ発生するというのです?

私の人生に関していうと、一度も無いですよ。ハワイに行ったときですら感じませんでした。買い物程度なら身振り手振りだけでもなんとかなります。たまに日本語が話せなくて困ってる外国人は見かけますがね。

 

それにしても小学3年から英語とはねぇ。

くしくも私が英語・・・というかアルファベット文化に見切りをつけたのがその頃です。子供の頃の私は神童扱いされていて、今でもそうなのですがその頃から凄く頭が良かったのです。当時は新しいことを覚える度に判断の物事の基準が増えて、私の人生でも一番学習意欲が高かった頃だったような気もします。そんな頃にローマ字学習というものがあったんですよ。当時からアルファベットは巷に溢れてましたから、ローマ字学習でそれを使うと知り私はわくわくして教科書を配られてすぐ予習をしたくらいです。

 

そしてあっという間に幻滅しました。

 

皆さん知っていますか? アルファベットには26文字しかないんですよ!

大文字と小文字を区別して、更に数字や句読点や感嘆符までいれても百文字に達しません。小学生の頃の国語の学習というものは、半分くらいが文字を覚えることでした。ひらがな・カタカナ、そして漢字。学年が進む度に扱える文字が増え、ある程度の漢字を覚える頃には読める本が一気に増えて、それだけで賢くなったような気がしたものです。

 

ところが、アルファベットを使う言語で扱えるのは百文字以下。

 

当時の私は年齢の割にはたくさんの言葉を覚えていて、大人を言い負かすことも少なくはありませんでした。文字が多ければそれだけ表現は簡潔かつ豊かになる訳で、実際ローマ字だとひらがな一文字で表現できる音に数文字必要じゃないですか。語彙の多さが知性の高さであり、言語とは思考の根幹であると勘違いしていたこともあり、当時の私には百文字以下の言語に価値を見出すことはとても出来ませんでした。

 

そして間が悪いことにローマ字を予習していた私を父が見つけまして、親の期待が高まっちゃったのか馬鹿なことに英語教材なんてものを親戚から貰ってきちゃったのです。簡単な英語のテキストとカセットテープがセットになってるアレです。これはペンですとか彼はマイクですとか言ってるアレなのです。アレ、子供でも目を覆いたくなるほど頭の悪い会話満載じゃないですか。当時のセンシティブな私にはとても耐えられず、アルファベットを使う奴らはやっぱり頭悪いという確信を植えつけるだけでした。

 

だって使える文字が百文字以下の連中ですからね、小学生低学年より下ですよ。

そんな低レベルの連中がああいう会話しか出来ないのも仕方ありません。

 

それ以来きっぱりと英語というかアルファベット言語には興味を無くしてしまいました。さすがに文字の数と知性は一概にイコールとは言えないなんてこと、中学生の頃には気づいていたんですが、英語より優先度の高いものがたくさんあったので結局英語は勉強しませんでした。そもそも中学生の頃の英語の教師、英語話せなかったですし・・・

 

これは自慢ですが、センター試験の模試の英語の偏差値なんて40点代の前半です。物理・数学・国語で偏差値70以上を常にキープしてたので、英語なんて脚きり点さえ上回ってりゃかまわなかった訳です。ちなみに数学は満点とっても偏差値は70代の前半なんですよね、物理は満点だと運がよければ80超えることもあるのに。国語だと一問間違ったくらいで70半ばですが、満点は取ったことないので分かりません。社会科はあまり興味が無かったのでどれも偏差値60くらいでしたね。

 

そんな訳で私の英語が出来ないせいで教師が焦ることは多々ありましたが(なまじ他の科目が優秀なため英語の教師に問題があると勘ぐられることが多かったので)、私が困るという事態は今まで発生しませんでした。これからは英語が必要だなんて二十年前の私もよく言われたものですが、じゃあ英語でその必要性を語ってもらえますかとお願いしたら黙りこむような教師ばかりでしたし。

 

日本に住んでるなら英語なんて必要ありません。

 

そんなことよりもっと物理学を教えるべきではないでしょうか。

クトゥルーオペラで七組の双子が邪神を倒せたのは、彼らが超能力を使えたからではなく物理学を理解していたからなのです。物理学を極めれば邪神ですら恐れるに足らずです。事故の時にも咄嗟に応用できるほど物理学を極めていれば、生存確率も上がるでしょう。

 

英語なんてやってる暇があるなら物理を理解した方がいいですよ、割とマジで・・・