kindle沼日記

電子書籍のことを中心にまったりとやっていきます

アニメと原作の微妙な関係

ゴールデンタイムの最終巻をようやく読みました。


そしてHDDの肥やしになってたアニメ版の後半もなんとか消化しました。
・・・

 

はっきり言って、主人公の幽霊は初めからいらなかったんじゃないかな・・・


まあ気持ちはわかるような気がします。わざわざ物語を作るんだったら、他ではやっていないことをやりたいというか、やらなきゃいけないという脅迫観念のようなものがあるんでしょうね。普通の話なんて書いても誰も見向きしないですから。
それでひねり出したのがあの幽霊だったと思います。
でもね、そもそもの話この作者にとっての普通と世間の普通がもう大幅にズレてるんですよ。この人が普通と思ってる生活をそのまま書くだけで、世間一般の人は大いに楽しめると思うんです。
そんなとてつもない飛び道具を標準装備しておきながら、それでもあれやこれや考えてしまうのが物書きの業というものなのかも知れません。


正直、彼女がストーカーというだけで十分な売りになると思うんですけどね。
でも普通じゃない作者にとっては、ストーカーくらい普通の範疇だったのかなぁ。

ところどころのキャラの掛け合いはすごく面白いし魅力的なんですが、幽霊は初めのうちは存在価値がないし、途中からは行動がエキセントリック過ぎてなぁ・・・
突然見知らぬ場所で意識を取り戻したからって、ギャーギャー彼女の名前叫びながら走り出す男子高校生は怖いです。原作でもたいがいアレでしたが、声が付く分アニメは大惨事でしたね。あれじゃ主人公に同情する気も起きないです。


作者的な感覚でドラマチックにしようとするとあそこまでしないといけないのかもしれませんが、超辛党の人が辛いと思う料理を一般人に勧めるようなもんですよ。普通レベルでも一般人には十分辛いので、次はもうちょっとソフトにお願いします。

 

幽霊成仏のシーンも原作の時点でアレな感じですが、アニメではさらにアレな感じになっちゃって・・・強引にでもハッピーエンドにしたかったんでしょうけど、妄想世界と現実との境目はもっとしっかりして欲しいです。

ただ主人公の実家に尋ねてきた「オカ」ちゃんのシーンは、小説とアニメという媒体の違いをリンダの表情で巧く克服してて良かったと思います。

 

最近なんとなく思うんですが、昔は原作の良さを分かっていないスタッフがオリジナル設定を盛り込みすぎて大惨事になることが多かったのが、最近では原作の良さを分かっていないスタッフが原作そのままやっちゃって微妙になるケースが多くなったなぁと。
原作が十分に面白ければそのままお出ししてくれていいんですが、微妙なところがある場合は後発のメディアがそこを補完してほしいと思うわけです。

 

最近のアニメだと「はたらく魔王さま」が巧く小説の内容を補完していたと思います。今まで何度も書いてきましたが、原作だと一巻の時点では「はたらくフリーター(自称魔王)」で全然魔王らしくないのが、アニメでは初めに魔王らしいシーンと現代社会に来て大いに戸惑う姿をきっちり見せたことで、後々あの魔王が普通の人間みたいになって・・・という面白さが引き立ちましたからね。

 

原作を改悪するオリジナル部分と原作を保管するオリジナル部分をどう見分けるかというと、それは結局受け手の勝手な判断でしかないんですが、まあ大体見れば分かるという感じ。例えば自分の趣味の話題を知り合いと話しているとき、その人もその趣味にはまってるのかこちらに話を合わせているのか分かるのと同じです。
もし趣味には興味ないんだけどしっかり調べてきてこちらが疑う隙が無いほど話を合わせてくれてたっていうなら、それはそれでいいんです。でも適当に話を合わしてるのがすぐ分かるレベルだと嫌ですよね。


そういうぱっと見た感じでこいつ原作理解してないなって分かるレベルがいわゆる改悪かと。そりゃファンは怒ります。

 

「ゴールデンタイム」の場合、スタッフがまったく原作を理解してなかったとは思いませんが、幽霊に関しては面白さを理解できずにそのままお出しした部分だったかと。ぶっちゃけ幽霊に関してはどうやっても面白くならなかったと思うので、とらドラの竜児の超能力設定みたいにばっさり切ってよかったのになぁ。

 

まあスタッフが原作好きで補完しようとして、逆に滑っちゃったというのもあるとは思うんですよ。例えば「犬とハサミは使いよう」がそんな感じしました。あれはそもそも原作がアニメ向きじゃなかったので仕方ないのかなぁ・・・