kindle沼日記

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ロボットアニメ考察 その三

昨日の続き、行きましょう。

 

ホビー系以外のロボットものでガンダム程徹底して世界に影響力のなかった主人公はガンダム以降ほとんど現れませんでした。主人公達が世界をのコントロールする役割を持たず、ごく一般の人として戦い続けたものなんて、バイファムダグラムくらいのものでしょう。ただバイファムはかなり局地的な話に絞っていたので、実質的にはダグラムだけと言っていいと思います。


たいていは普通の人間から始まっても、最後には凄い力を見せつけて大衆を扇動するアジテーターになったり、世界を揺るがすような秘密に関わったりするんですよね。
近代戦争で一般兵士なんかがそこまで決定権を持つことなんてないんですが、そうでもしないと話を成立することが出来ないのが現状なのです。


だからと言って、スーパーロボット系のように凄い力で戦局を左右するのはナンセンスだという程には、人々が成長しちゃってるのですね。これは第二次世界大戦の頃みたいに凄い兵器があれば世界を征服できると考える馬鹿は少なくなったけど、戦争という現象を多角的に見て分析できるような人はほとんどいないという状態な訳です。
まあ私もまだそこまで達しちゃいない訳ですが・・・

昔に比べると賢くなってきたけど、まだまだその程度なんですよねぇ。

 

もっと賢くなる為に、もっともっと平和な時間を続けなきゃならんのですけど・・・

ただ平均的に賢くなってきたと言っても、生まれた時から賢いわけではありませんので、まだスーパーロボット系のような分かりやすい物語というのも年代によっては必要なんですよね。私も子供の頃はガンダムの凄さとかきちんと理解出来てなかったですもん。
そんな若い世代向けに主人公が世界をコントロール出来るようにした受け皿が、いわゆるセカイ系なんだと思います。昔のスーパーロボット=今のセカイ系ですね。
どちらもある程度成長できた時点でどっぷり浸かる程に堪能することができなくなって、ネタか単なる娯楽と割り切って楽しむしかなくなる訳です。

 

こんな風に語ってると、昔のスーパーロボット物は駄目みたいな感じですが、まあ実際今の目で見ると厳しいのがほとんどなのは事実ですが、放映されていた時期には時代の最先端だったものも多いのですよ。そーゆー作品をこつこつと積み上げてきたおかげで、今のアニメがあるのは事実なのです。


ほら、七人の侍にインスパイアされた作品をいろいろ見た後でオリジナルを見るとちょっと拍子抜けしちゃったりしますが、だからと言ってオリジナルに価値がない訳ではないのと同じです。それがなければ今ある多くの作品は存在しなかったし、それがあったおかげでさらに面白い作品が生み出される訳です。
それはアニメだけでなく、工業製品だろうがなんだろうが同じで、昔の画期的な製品や技術でも今じゃ時代遅れのポンコツな訳です。芸術作品だって、昔の名作は今の時代じゃ模倣されまくって何所かで見たものの類似品になっちやいますしね。それが始めて現れた時のインパクトなんて、結局その時代の人しか分からないんです。

 

だから昔の作品を今の価値観で批判するのはいかがなものかと思う訳ですが、反面昔の作品を美化された記憶だけで語ってる層も存在しますので、その辺はどっちもどっちなんでしょうね。その作品の歴史的な価値なんて経験の乏しい時期には判断しようもないですから、この手の論争は若者の方が不利になりがちですが・・・

 

なんだかまた話がそれてる気がしますが、ロボットの話でしたよね。
結局、ロボットで戦おうとするとリアルな戦争という二つの壁が立ちはだかっている訳で、主人公とその周辺にスポットを当てるタイプの物語とは相性が悪いというか、
その辺をうまく消化できるほど人は賢くなっていないということなんでしょうねぇ・・・