kindle沼日記

電子書籍のことを中心にまったりとやっていきます

今期もプリキュアはパス

今期もプリキュアの新シリーズがスタートしましたね。今年でシリーズ10周年になるとかで、お目出度い話です。

私も可愛い女の子が頑張るのを見るのは好きなので一話は視聴するようにしてるんですが・・・駄目だ、コリャ・・・

 

念の為にプリキュアを知らない人にどんな話かを説明すると、何も知らない女の子を戦闘員に仕立て上げて、町で暴れるモンスターと戦わせるお話です。大人はそれを何もフォローせず、女の子が戦ってるのを見てるだけ。戦闘員にされた女の子は、何故か大人達に助けを求めることもなく毎回死地に赴きます。

 

これに出てくる大人たちは子供を少年兵に仕立て上げて自爆テロさせてる連中と本質的に同じなんですよね。

これに出てくる子供たちは辛い現状を誰にも打ち明けず自殺を選択する子供達と本質的に同じなんですよね。

 

別に子供が戦ってもいいとは思うんですが、このご時世にその理由付けはしっかりとしていただきたいと思います。町に怪人が現れて子供が戦ってるのに、大人が何もしないってのはどうかと思うんですよ。子供が大人にまったく頼らないのもおかしな話だと思うんですよ。

 

子供が戦わされる理由と大人が手伝わない理由をきちんと説明してくれないと気持悪くて見てられません。勿論世の中には思想の自由ってものがありますから、少年兵を養成するようなお話を好む方や、一人で何もかも抱えて自殺する子供を当たり前のことと考える方がいて、そういう人の為の物語があっても仕方が無いとは思いますが、そういう嗜好はせめてもう少しアングラな場所でやっていただけないでしょうか。ましてそれを子供に見せている親がいるかと思うと、不気味だし不快です。

 

こういう下衆な話を喜んで見る人達へのカウンターとして製作されたのが「まどかマギカ」でした。

普通に考えて、女の子を戦わせるような奴がどんな奴なのかをあの作品では提示しました。

普通に考えて、戦いによって女の子達がどんな危険に巻き込まれるかをあの作品は提示しました。

あの作品の中でインキュベーターは、プリキュアを喜んで見ている大人・子供に見せている大人・そんなものを作り続けている大人を投影したものでした。彼らによって子供達がどんな目に会わされる可能性があるのかを描こうとした訳ですね。ところがプリキュアを楽しんでいるインキュベーターの分身達は、まどかマギカを見てインキュベーターの行いを非難はしても自分達の行動は反省せず、その後もプリキュアを楽しんでいた訳です。まどかが悩みを親に打ち明けようとする普通の子だったり、まどかの親が子供の異変に気付く人だったり、プリキュアを好む無神経な人達とはかけ離れていたのがいけなかったのかも知れません。

 

おかげで続編の「反逆の物語」では前半でさらに明確にプリキュア的な表現を取り入れつつ、中盤では哀れな少年兵としての魔法少女を強調するようにアクションを盛り込み、終盤では誰にも助けを求めることが出来なかった者が選んだ末路を提示しました。

あそこまでやられたら不快感を感じられた方も多いんじゃないでしょうか。

人間、図星を指されたら不愉快になるものです。子供達だけを戦わせ続けることが何を意味するか、自分達が子供をどうしようとしているのかを見せつけられたら、そりゃ嫌な気持ちになるでしょう。

 

そろそろ戦わないプリキュアやきちんと大人のフォローを受けるプリキュアが現れてもいいんじゃないですかね。いつまで子供達だけ戦わせるつもりなんでしょうか。