kindle沼日記

電子書籍のことを中心にまったりとやっていきます

テストについて

今週のお題はテストですか。私はIT関係の仕事をしてるので、テストというものから当分逃げきることは出来そうにないです。

まあテストされる側でなくする側ではあるのですが、運用ケースを全部網羅してるか納品までどきどきすることはよくあります。そもそもユーザー自身が全運用ケースを把握してなかったなんてことがシステム導入後に発覚して、慌てて機能追加になったりするんですけどね・・・

 

そんな感じでテストというのは対象物が目的に合っているかを把握する為のものなんですが、あいにく私が学生時代に遭遇するテストってやつはその辺を理解してない人に作られてる場合が多くて随分いらいらしたものです。学校で教師が作るテストは、まあ目的が分かりやすいですよね。自分が教えたことを理解してるかどうか把握する為なので、授業中に教えたことをそのまま問題にすればいい訳です。

どんな問題を出すかでその教師がその科目の何処を重要と考えてるかも分かるので、けっこう興味深かったり。中にはオリジナリティを出そうとするあまり、ちょっと本質から離れちゃった問題を作っちゃう困ったちゃんも居ましたが・・・

 

作ってる側を知っていれば、その意図を読み取ることも可能なので多少本質から離れていてもいいんですが、問題はいわゆる業者テスト。例えば国語の問題で、小説の一部だけ抜き出して「作者の思ったことを書け」みたいなのはNGです。
その問題を作ったのが作者ならまだ言い訳できますが、そもそも問題を作った人が作者の考えを正確に把握してるかどうか、どうやって証明するんですか。文章をそれなりに書いてる人なら初めに書こうと思ったことと、書きあがった結果が全然違ったなんてのはよく経験しているはず。もう問題作成者の経験不足が透けて見える恥ずかしさです。

算数のひらめきが必要なタイプの図形問題を一問だけ出しちゃうのも馬鹿ですね。
同タイプ別パターンの問題をいくつか出してその正答率を比べるならまだわかりますが、気づき問題が一問だけだと運によるブレが大きすぎて評価に値しません。

 

私が受験したころはもうテストの為にテストを作っているみたいな、詰め込み教育の弊害みたいなあまり知性を感じない問題が多くてうんざりでしたよ。
公式を知ってたら解ける問題なんて誰でも作れるんです。何故その公式が正しいか理解してるかどうかが肝心なんですが、そもそも原理をきちんと理解してないとそんな問題は作れないんですよね。学校で習ったことは社会に出たら役に立たないなんて馬鹿丸出しで自分の理解力と応用力の無さを曝け出してる恥さらしが増えるのも、ああいう馬鹿なテストで育ったからなのかなぁ・・・


おかげで大学の物理の二次試験の問題はなかなか手ごたえが感じられて、後で「あの問題を作った人はなかなか物理が分かってますね」って言ったら、それが問題を作った教授の耳に止まって呼び出されたりしたのも今となってはいい思い出・・・なのかな? 専門家に本気モードの専門トークをするきっかけを不用意に与えちゃいけないと、その時になって知りました・・・